「池ぽちゃ」は「池に入る」こと
「池ぽちゃ」とは、打ったゴルフボールが池にぽちゃと入ることを言う。
自分のボールであろうと同伴メンバーのボールであろうと、そのボールが池に吸い込まれていく有様は目を覆いたくなる。ゴルファーにはその池は確かに見えているのである。そこに危険があることも十分承知している。ただその先のグリーンとピンフラッグが強烈に網膜を刺激し、手前の池など一顧だにしないものである。そこに池を作りゴルファーを罠にはめようとしている設計者のほくそ笑みなど糞食らえである。ピンまで高々 100ヤード。この状況で池を避ける選択肢などあろうはずもない。
そもそも、以前から気になっていたのだが、池にボールが入ることを「池ぽちゃ」などと可愛らしい名前をつけているのはどういう了見であろうか。真摯にゴルフと対峙するゴルファーへの配慮が足りないのではないのであろうか。ゴルフ業界はこの悪魔的命名に沈黙を貫いているのは怠慢ではとさえ思えてしまう。もっとゴルファーに配慮した事務的な名前を模索して然るべきではないか。
というのも「池ぽちゃ」という言葉は、スイングやメンタルやマネージメントなど関係なく、マルッとダメだったことを曖昧に表現してしまうのである。ある意味日本語らしい曖昧表現であり、奥ゆかしさの裏返しかもしれなし、響きが可愛らしく使いやすい言葉ではあるが、ゴルフ場での「池ぽちゃ」だけはいただけない。「池ぽちゃ」は、それまでの過程や積み重ねなどは関係なく、ボールが止まった場所だけの、つまりは結果だけの悪さを際立たせる。救いがないのである。例えば、「バンカーに入った」と同様に、「池に入った」であればまだ救いがある。 スイングが悪かったのか、メンタル的に負けていたのか、クラブ選択やライン取りなどマネージメントの問題なのかなど、入った理由を分析して前向きに検討できるのである。「池ぽちゃ」は、結果を追い求め、結果が全ての厳しいプロの世界であれば成立しよう、だがアマチュアゴルファーのお気楽ゴルフにおては、「結果オーライ」は良いが、「池ぽちゃ」は馴染まないと思うのである。アマチュアゴルファーのラウンドには練習も本番もないのである。スコアも求めるし、ラウンド中に色々試したりして練習もする、結果が悪かった場合は原因を転嫁したりもする。そうやって、ゴルフを楽しんでいるのである。「池ぽちゃ」のように結果本位のゴルフではないのである。
決して、9番ホールで「池ぽちゃ」して、ハーフ30台を逃したので苦言を呈しているのではない、、、と思う。2打目のレイアップでラフに入れて、3打目が下をくぐって僅かにグリーンに届かなかったため「池ぽちゃ」になったのは自己責任と分かっている。いや下手なだけだとも分かっている。同伴メンバーからは「池ぽちゃがなければね」と慰めて頂けたが、「池ぽちゃ」とう言葉ば妙に心に染みる。
「あぁ、池に入っちゃった。ラフが深かったから仕方ないよね」位が丁度いいと思うのだが、いかがであろうか。
【補足】レッドペナルティーエリア(旧ラテラルウォータハザード) の処置
ボールが入っちゃった池はレッドペナルティエリアで、対岸から転がり落ちて池に入ったが、池に入った地点からホールに近づかない2クラブレングス範囲は全て池の中でドロップするエリアがないため、池に入った地点とピンを結ぶ後方線上のフェワウェイを見つけて1打罰の処置を選択、なんとかボギーでホールアウト
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