天はゴルファーの上にゴルファーを造らず、ゴルファーの下にゴルファーを造らず
全てのゴルファーは生まれながらにして平等である。かの福沢諭吉先生曰く、「天はゴルファーの上にゴルファーを造らず、ゴルファーの下にゴルファーを造らず、と言へり」と金言を述べている。これは誰もがゴルフを始めることが可能であるという意味であろう。実際ゴルファーには、男性も女性もいる。若い人も年寄りもいる。大富豪もいれば慎ましやかな生活の人もいる。誰もが何かのきっかけからゴルフを始めることが可能なのである。一方一旦始めてしまうとその後は、各個人の素質・体力、練習量、またレッスンやラウンドに掛けられる経済的・時間的余裕などの差からその技量に違いが現れてくる。アンダーパーでラウンドできるようになる人もいれば、100切りがなかなか達成できない人もいる。300ヤード越えのビックドライブを打てるようになる人もいれば、飛距離の出ない人もいる。小技が得意になる人もいれば、グリーン周りを克服できない人もいる。こうして千差万別、十人十色の個性を持ったゴルファーができあがり、その人の技量に応じてラウンド中に一喜一憂するのがゴルフなのである。
ラウンド中に、その一打一打に対し、現在の自分の技量との対比にて一喜一憂している場合は、たとえミスショットしても、いつかは克服できると思えば、むしろ伸びしろとして受け止められる。ところが、例えばプライベートのラウンドで同伴競技者と対比して見てしまうと、ゴルフはなんとも不平等な競技へと変貌する。体格的に恵まれた人の飛距離や、練習量豊富なゴルファーの美しいフォームを見てしまうと、力んで飛距離をだそうとしたり、普段と違うスイングをしてしまい、余計なミスをしでがちである。
そもそもゴルフは全員が同じ条件でショットを打つことがない競技なのである。ティーショットでは自分の打順の時と他のゴルファーの打順の時とでは、風向き、気温、太陽の位置・曇り具合などが違い、2打目以降では各自の打つ場所すら違うのである。また、各ゴルフコース毎にコースレイアウトやセティングの難易度の違いもある。ゴルフルールにおいても違いがある、各ゴルフ場では独自のローカルルールが設けられているのだ。つまり、プレーの時間帯、天候、季節、ゴルフ場との相性等により、たとえ同じ技量のゴルファー同士でも、スコアでは差がでるものである。
このようにゴルフは、誰もが平等に始めることができるのだが、実際には不平等この上ない競技なのである。この不平等さをうっかり見逃してしまうとゴルフがつまらなくなるかもしれない。だが不平等を嘆いて、ゴルフから離れてしまうのもつまらない。そもそも、他人の技量や自然のコンディション、ゴルフのルールは自分ではコントロールできないのである。しからばコントロール不可能なものに抗っても仕方がない。今できる自分のベストショットを打つだけである。
全員がグリーン周りに上手く運んでいるのに、自分だけ凍ったグリーンで弾んだボールがOBとなり、打ち直ししている状況でそんなことを考えている。
コメント